ここはオリジナル創作のことについて
好き放題に綴るトークページ
更新不定期、創作裏話もろもろ






今日の話題:忍耐

 今日は日曜日。コミックの続きを描こう〜と、先日の祝日を利用してはじめて書いてみたネーム(大問題)をスケブ(いちおう本番)に起こすためいそいそ準備。

・・・ない。ネームがない。あれ?どこ?や、たしかにコピー用紙半分におりまげたその辺の紙だったけど、スケブはここにあるし、あのかみっきれはいっしょにおいといて…

 あゆり 「ハハ、なんかこういうちっこい紙しらない?適当にしかくとかかいてあんの。
 ハハ  「ん?ああ、なんかそんなようなもん捨てたねぇ。捨てたかも。昨日ゴミの日だしねぇ。
 あゆり 「 (・ё・) 
      ……ま

      ママン…っ!!





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 というわけで、今日は忍耐のお話です(切実だなぁ・涙)
 でも上のような忍耐ではありません。もちろんそういう忍耐もすっごく必要とするんですが(笑)、今日の話は”創作してて、忍耐って大切だとおもうこと”
 『創作には忍耐は必要。』うーん、必要っていいきっちゃうと少し違う気がするかな?ふと気が付くと、これも忍耐だなあ…と思ういろんなこと。ネタがでてこない、おもいどおりにかけない。こういう模索は慢性的に創作に絡むことなので、いままで特別悩んだことはありませんでした。ネタがでてこないっていうのはつい最近まで知らない悩みだったかもしれない。計画的且つある程度コンスタントに物語をつくることがなかったので、コミックをやって初めて”1ページ毎に模索”という日々を体験しました。私、漫画を描くということに関してはこれ以上ないくらい素人なので、ほんとうに毎回じれじれしちゃいます。絵が、動き出さない。呼吸してくれない。でも描くしかない。たぶん、100Pくらい描いたら今とはまた違う形のジレンマまでは成長しているんだと思うと、その楽しみが苛立ちや焦燥をやわらげてくれるような気がします。暗示とか思い込みって大切。自分が楽しくなれるならなんでも大切。辛い出来事から学ぶことは多いけど、前に進むのは明るい感情でありたいと思うんです。

 次の忍耐。この文を書くきっかけにもなった問い。私のかいてるものって、誰かみてるのかなぁ…?と。
 もちろん書き込みしてくださる方や友人のおかげで絶望的なまでにはならないですむのですが、ネットという場で作品を出している以上ふと考えたりもします。ネットをする以前の私は、創作は自分でやって自分で完結する趣味だったので、身内さえ見てくれればもう大満足。それ以上なんて、考えたこともありませんでした。サイトはじめて数年も、その考えは特に激変することもなかったような気がします。見に来ている人がいるというだけで、むしろびっくりしてしまう日々。その後卒論や就職などのために一時ネットをお休みしたりしまして、再起動するにあたって、年も考え(笑)物語になっている作品をつくっていこうということにしました。これがちょうど現在に続くあたりのことだと思います。そんなとき、いままでになく考えた創作のこんなこと。

 創作はまず自分の力で、自分のためにやります。ものすごーく個人的な製作物だから、誰かに何かを求めてしまうと逆に自分の歩みを鈍らせてしまう。小心者の私は、自分にカツをいれるために自分を信じます。たとえば、誰もみていなかったら創作をやめるか?否、それはありえない。あまりにもありえない。それにくらべたら、今まちがいなく、ひとり以上の誰かが私のやっていることを見ている、それってものすごくないかしら?すっごい幸福。
 その天秤の反対側で、私の知らない誰かが私のつくるものに目をとめているだろうか。私はちゃんと、自分らしい作品で誰かの目を一瞬でもとらえることができるだろうか。そんなふうに思ったりもします。
 実際には、どちらもなくてはならない考えのように思えるんです。でも、やっぱり後者を思ってしまうときは、すごうくじれじれする。それと、どきどきする。不安にもなる。ネットサーフィンすると、ええーー??!ってくらい上手な、魅力的なひとたちの波。もう、びっくりをとおりこして唖然とします。愚問ですが、上とか下とかいったら、もう問題外。私が私らしさをやる以外、私にできることなんてありません。でも、そう思えることがたぶん大切。どう転んでも、うまくいっても苦い思いをしても、結局やることは絶対に同じ創作。なら少しでも楽しくやれ自分!

 見てる人は、いるかもしれない。可能性はゼロじゃないぞ。そうしんじられるのが、ネットのいいところかもしれません。私は創作作品以外の部分をあまりHPに書かないので、こういうことを書くのは実は恥ずかしかったりします。慣れてないんですね。書こうと思ったのは、自分の考えていること人に見える場所に置くことではっきりさせて、ちゃんと前を向かせるため。向いている自分を、自問しつつ支えるため。それから、あることをはじめるためでした。

 私は自分の作品が誰かの目にとまってくれることを願っています。それはちいさくともおおきくとも関係のない創作人の情熱のかけら。でも、まてよ?じゃあ、私は”誰かが自分の作品に目をとめる大変さをしっているか?” ”私は知らない誰かの作品を、急に足を止めて奥の奥まで見たりするだろうか?” 答は…「否」。すくなくとも、現時点ではよほどひと目で衝撃的でなければ、NOとなってしまう。それを自分はせずに、人には求める?うわあ…。えらいこっちゃ。そりゃあ、こんな話をネットに書いたら恥ずかしいわけだ。

 私にとって、創作はコミュニケーション手段のひとつ。だから、プロの作品を見ることは自分の創作活動とは直結しない、みずのあゆりというより××(本名)の楽しみです。せっかくそういうふうに自分の考えに気付いているのに、私全然それを生かせてないんじゃないかなあ??そしてなにより…私は創作人として、自分の作品をみてもらえたときの喜びをしっている。共感できたときの、ほんとに小さなひとことがどれくらいやる気になって、どれくらい感動するかしってる。それは作り手だけじゃなくて、読み手にだって素敵なことだったはず。じゃあ、私それをしないでいて、私らしい?

 そんなふうに思ったのです。

 自分が楽しみたかったら、ひとを楽しませよう。これは私がなにかと思うことがあるときにいちばんたどりつくことです。そしてそれが出来たら、楽しませたんだからあなたも私を楽しませて!とはしない。これはあくまでも、私の好きでやることです。そうでなければ意味がありません。けれどもしも楽しませてもらってしまったら、最大級の喜びをお伝えしたい。
 今までは時間がない、その時間があったら自分の作品をやるのがめいっぱい。そんなふうにきてしまいましたが、最近はわりと余裕が出来てきた気がします(会社に慣れたかな?) なにより私自身が誰かの作品を見て、何かを感じたい。そう思いました。

 見てもらえてるかもしれない。でも、ほんとは見てないかもしれない?
 がんばれ自分。結局あんたは、ラブ好きな創作人だ。やれることやってみろ!

追記。
私がどーしても、不安になってしまうとき。実は、森へのリンクページを検索したりします。ときどき私の知らない方がリンクしてくださっていると、すごくエネルギー充電になったりします。もしかすると、あなたのサイトのリンクの紹介文とかで、あゆりは勝手に元気を充電してるかもしれません。心からありがとうございます。それから、すいません!(汗)


今日の話題:設定のこと

 ここではすっかりご無沙汰しております、こんにちはみずのあゆりです。今この文章を書きながら始めに思うことは、下のトークがいつUPされたものなのか更新日時が残らないデザインでよかったーという事だったりします(…)。が。毎度話し始めると止まらないだらだらトーク。
 さて、今回のお題は設定について。

 いままで創作をしてきて、いちど決めた設定に、ふりまわされる…ということにぶつかることが何度かありました。いちばんの理由は、同じ物語をずーっと創っていると、小学生のときと今考えることではあまりにも差がある!という事実。随分どうするか悩んだのですが、結局変えることになった設定のひとつが齢年というもの。…改訂の理由はただひとつ。一部のキャラのためにあてがわれた設定が、ほかの全てのキャラに大迷惑。ということでした。
 いままで長い間変えずにいたのは、他の多くの設定のように「いつか他にも馴染む」と思っていた節がありまして。けれど結局、修正するに至りました。そもそもこれは<10年に一度年をとる>というものでした。月の位置やらなんやらでそうしようと思っていたのですが、これを要求していたのはマローンとアリサのふたり。ふたりが離れてしまうまでや、離れたあとの時間の長さ。それを、年をとらせずにこれだけの長い間!と明示したかったからに他ならず。他にも10代が国の要職についたりもしたので、全体的な”言い訳”ともいえる必要性からそんな設定をつくってました。でもやっぱり無理だったんですね。私の中で。マローンとアリサの時間について、1年や2年ではなく最低でも5年6年の時間的な長さが欲しい!と思っていましたが、最後には「1、2年という時間を、長く感じさせられるか短く感じるかは私の描き方次第。単に数字でそれを表現しようとするより、私や登場人物が長い時間だとほんとうに感じていれば、そう表現できるはずだ。」という考えに至りました。
 この設定変更は、随分長い間私の中に問題としてあったのですが、今それを落ち着けてみて思うこと。設定って、つくるときはもちろん、それを壊すときに、自分に対して納得のいく”構築…再構築、若しくは撤去”のための思索をしているんだなぁということでした。名前決めなんかでも、私の場合、似合わないような名前をつけて”それが馴染む”のを待つのがかなり好きだったりします。陳腐な、ときには奇抜なその名前の音やそこから生ずる抑揚が、呼ぶ人間と呼ばれる人間の中に浸透していく様子。それは、まだはっきりとした個性というものが見えなかったであろう赤ん坊のときに名付けられた”名”が、成長の中でその人物の確かな”名前”になっていくことの、模倣なのかもしれません。名前だけでなく、今回のような設定についても、誰かを好きになるときの心の動きも。作っているのは私であっても、それは既に物語の中で生きている彼ら、彼女らが、私に教えてくれる数々の出来事。
 気がつけばこんな世界にこんな社会が出来、こんな人々が生きていました。
 やっぱり創作って、おもしろいです。



今日の話題:ForestMakerページデザインのこと
 HPはじめてはや1年半…コンテンツは増えていないのでつまるところこのFM(ふぉれすとめーかー)も1年半。よくこれだけほっておいたものです(笑)いやいや、HPはじめた当初はこのページが紛れもなくメインコンテンツだったんです。メニューの順をみればわかる。だのに更新がやたらおそいのは、ともかくネタ制作の労力(絵一枚ではできないし、ある程度時間が必要)と…なにを隠そう、デザインの情けなさからだったのでした。
 自分がHPをつくると、ネットでの足回りもふえたりへったり。でも、皆様が来てくれてBBSにカキコしてもらってたりすると、当然そちらにお邪魔したりリンクしたりするわけで、そのたびに”ああ…みんなデザインかっこいいなぁ…”と感嘆していたのです。このHPはすべてHOTALLでつくっていますが、最初はほんとに基礎的な構築しかできなかったわけで、webデザインというものもわかってない状態。今でもわかってるとはとても言えませんが、少なくとも人様のお宅をみて、かっこいい…うちもきれいにやってみたいな、と、思うところまではきたわけです。創作部屋というのは、そのまま創作の姿(雰囲気とか空気とか)が垣間見えるような気がして、更新したら当然ココみられるわけで(笑)ああ。こんなデザインでみられたくないよー、と思いつづけて時間がたっていたんですね…
 そんなこんなでやっとこぎつけましたデザイン改訂。しかしながら、世界設定→キャラ→トーク(ココ)と背景画像をつくっていったので、最初の世界設定のとこの画像が…しょぼいわ…上達してると思えば嬉しいけど、しかし(笑)。でもとりあえず落ち着きました。今度は内容つくりに励みたいものですね。
 でも実際、創作の雰囲気って…どこから読み取ります?本編がなかった場合、やはり絵柄や文章の雰囲気、そしてデザインじゃないでしょうか。今回のデザインが私の創作の雰囲気を表現している、とはいいきれませんが、とりあえず”ちがうよ〜…どうしよう。”と思うほどではなくなったと思います。今更ながら、このHPのメインコンテンツは、この創作設定部屋。それから、独立しているけれど”Malorn's Diary”なわけです。両方とも、創作の物語に大きくかかわる部分。もちろん、私の場合イラストもすべて創作にのっとったものしか描いていないので、あれらも当然”創作”物なわけですが。なんとなく…気持ち的に。もっと、物語や流れを前面にだせたらなって。そんなことを言いながら、既に次回の落ち葉なににしようかな…って思ってるあたり、どうなんでしょうね?(笑)
 やぁ…今回はいつにもまして、ほんとにだらだらトーク(中身なし)でした。


今日の話題:キャラページのこと
 作り始めましたキャラページ。もともとHP作るなら設定資料置き場みたいなことしたいと思ってたのでやっと本分が遂げられたような気分です。しかしなんであんな中途半端に真ん中のとこのキャラから作り始めたんでしょうね。普通、主人公からやるでしょ。
 何故かと言いますと、UPできる主人公の絵がほとんどないんですよ。彼を作ったのが中一のとき。ちなみに当時は主役であって主人公でなかった。ヒロイン(リース)のほうが主人公だったんですね。日に日に広くなる世界をまとめる為に主人公の切り替えがあったんですが、そのあともドトーのよーにキャラも話も増えつづけた。みずのは新キャラ作ると最低一月はそいつら(何故複数形かというと、ストーリーに合わせて何人かまとめてキャラ作りをするから)ばかり描きます。描き慣れって意味もあるけど実際は目新しいものの方が描いてて新鮮で面白いっていうのが理由の九割。そんなことをくりかえしてると新キャラ発生率の高いみずのの子供たちは昔のキャラほど描かれることが減ってくるんですよ。もちろん、描くときはバンバン描くけどね。なかなか描けないことと、キャラに対する愛情とは別問題だから。
 まぁそんなわけで、主人公は最近のカットがあまりない。さすがに中学高校の時の絵を載せるほど度胸ないし(笑)。で、スキャナで取り込む絵をずらずらと並べたとき、いちばん上にあった双子から作り始めたというわけです。でなければなんであんな生意気で存在自体がネタばらしみたいなキャラを最初に…(ふっ)。
 これからも当分は同じ理由で、ほかのとこから作っていくことになりそうです。さしあたってはいちばん最近育ててるタリーアの面々かしら…


今日の話題:とりあえず、はじめまして
 ご覧になってる方、時間を割いて見てくださって本当にありがとうございます。水簾の森管理者のみずのあゆりです。
 やっと書き始められましただらだらトーク。この名称はいつも私が絵を描いた横に書いている設定、無駄口、裏話の題です。使い始めたのは中学のころだったかなぁ…。作品よりは付き合い短いですが(笑)。
 さてさて、キャラ紹介文第一弾が一応出来あがりました。もちろん内容入れてほんとの出来あがりなんだけどそれは日々やってくこと(?)として、一段落ついたのでこうしてだらだらと書くことも出来るわけです。そもそもめーかーのページ、ちらっと見るとふぉれすとめーかーっていうのが物語の題名に見えますねぇ(笑)実際には違うんですが。どうもみずのはこの題名って言うのが一番照れくさいとこなんですよ。とはいえ書かないわけにもいかないのでどっかには書いてあります。そのうちちゃんとgifでつくるつもり。
 表現媒体がまんがなのでここにどかどかと載せるわけにもいかず、それ以前に原稿は描いておらず…とことんオリジナル一本でやってきた私は発表の場をあまり求めない性質でして、こうしてHPで部分的にでも公開してるのは我ながら成長したなあなんて思えるほどです。
 最初にこの話を考えたのは小学校6年のとき。何が痛いってその頃と今とじゃ出来ることが全然違うんですよ。だから考えることが根本的に違ってくる。それでも生きてきた設定やキャラ達はほんとに私のコドモみたいなものでして。よくうちの子たち、と表現してしまうのもそのせいなんですかね。そういや、今書いてて思ったけど文章制限つけないといつまでも書いちゃうなぁコレ。だらだらトークっていう題も面目躍如ってなもんで、紙に書く時は隅からスミまで字で埋め尽くすという暴挙もしばしばやってるんです。墓穴ほらないうちに今日はこの辺にしとこうかな。次回からはもちょっと焦点絞ってトークしようと思います。では