小さいころから
ずっといっしょにいたから
大きくなるうちに
くっついてひとつになってしまったの

ああ だめよ
もうそれはひとつなんだから

切らないで

痛いから
そのままにしておいて…





 序

 やっぱり こんなとこ来なけりゃ良かった
 部屋の隅にある出来の悪いソファーに座りながら独りごちた。薄汚れた壁は、隣の部屋の音をほとんど通してしまっている。痛々しい声と乱暴な物音。それが余計に自分を苛立たせる。
 何もかも気に入らない
 部屋は殺風景で、少し大きめのベッドと、今座っているソファー以外には窓さえなかった。いかにも必要最小限という雰囲気が、また気に入らない。
 なんとなく見つめていた床と壁の風景に飽きて、ベッドの方へ目をやった。そこにいる女と一瞬目が合う。明らかに自分よりも幼いその少女は、ピクリとも動かず目だけをそらした。余裕からではなく、少しでもこちらに刺激を与えることを恐れているのだろう。この状況のまま時間がたてばいいと。かといって、それもあまりに苦痛だった。
 あと二時間、ここでこの女とボーッとしてろってか?冗談じゃない。だいたい俺が来たくて来たんじゃねぇんだ。金だけ払って帰っちまおうか…
 そこまで考えて、自分がここに来たその「原因」のことを思い出した。
 あいつ…どうしてんだろ
 学生時代からつるんでいた友人が、仲間内でオーパーツのことを話題にしたのがそもそも間違いだった。知識がないのも手伝って話はどんどんエスカレートし、次の日の夜にはもうここに来ることになっていた。結局話の成り行きで自分も同行し、バラバラに案内された扉を開けると、そこにこの女がいたというわけだ。彼女は、そのときとまったく変わらない格好でそこに座っている。考えてみるとオーパーツを見るのははじめてだったのだが、正直言って動物にしか見えなかった。やせぎすの体と醜く濁った瞳。震えていなくとも、明らかにおびえている。その第一印象で近づく気もおきなくなった。こんな弱々しいのを、どうしろってんだ。本当に、みんなこんなのをどうにかしてんのか?
 がたっとひときわ大きな音がした。疑問を肯定するかのように、隣からの雑音に泣き声がまじる。
 苛立ちがいっそう強まる
 隣が友人でなくてよかった。でなければ怒鳴り込んでいって一、二発殴っていたかもしれない。
 何をする気も起きない。帰るために立ち上がるのも億劫になってきた。
 目の前にいるオーパーツに触れたくないのは、彼女のせいでも隣の物音のせいでも、まして正義感でもない。とにかくバツが悪いのだ。ナイフを渡されて、ハイそうですかと目の前の人間を刺せるわけがない。それと同じことだ。
 いったい俺が何したってんだよ…なんにもしてねぇじゃねぇか
 おびえる少女を見て、苛立ちを彼女のせいにした。せめて一声かけてやれば少しは落ち着くのかもしれないが、そんな言葉は思い浮かばなかった。ここに来たということは、本来そのつもりだったのだから、言い訳がましいことになるのはご免だ。しかし、実際その目的を果たそうとしたところで、やり方さえ知らないのが本音だった。彼女に教わりながらなど、それこそ冗談じゃない。
 苛立ちながら考えをめぐらしていても、時間の経つのはひどく遅い。どちらにしろ友人を待たなければいけないのだ。こんなことの後に一緒に帰ろうなんて思うほうがおかしいが、ここに来たときはそこまで頭がまわっていなかった。
 しかたなくせりふをまとめて、少女に声をかけようとしたそのとき―
 突然、ズズンという爆音と共に建物に振動が走った。
「なんだ!??」
 続けて人の声が聞こえてくる。あわただしい、危険を知らせる声。その騒ぎが蔓延するより先に、もう一度衝撃が走る。
「何だよこれ!」
 少女に答えを求めるが、彼女も何が起こっているのかわからず、ただかぶりをふる。地方騎士団の手入れか?いや、オーパーツのことは法律に定められていない。しかし、だからといってここの人間が非合法を行なっていないという理由にはならなかった。参考人だろうと怪我人だろうと、こんな場所でごたごたに巻き込まれるのはご免だ。だいいちここは建物の二階だ。くずれたらやばい。最初の二つの振動は、それほど致命的に思えた。部屋に窓がないのがうらめしい。状況を把握することさえできない。廊下のすぐつきあたりに窓があったのをおぼろげに思い出し、ドアを開けるタイミングをみはからうため、部屋の外からの声に耳をそばだてた。誰かを追い立てる声。だが、それはどうみても騎士団のものとは思えない、いかにもごろつきのしゃべり方だった。だいいち騎士団なら、あんなにあからさまに大声で追い掛け回すとは考えにくい。追っているのはここの人間だ。
 じゃあ、誰が追われているんだ?
 疑問符は答えを想像することすらままならないうちに打ち消された。声が二階に上ってくる。それと同時に、空気をこするような妙な爆音がした。さっきのものより小規模な爆発だが、状況は明らかに悪化している。騎士団ならば無益な殺生はしないだろう。しかし今このドアの向こうでやり合ってる奴らは、穏便にカタをつけようなどとはかけらも思っちゃいない。
 ベッドのほうに振り向くと、少女は先ほどの平静を装ったおびえとはうって変わって、あからさまに震えていた。
「おいっ!」
 そちらへ駆け寄り、震える肩をかまわずつかむ。
「ここにいたらどうなるかわかんねえぞ!はやく逃げるんだ!」
 しかし、そこまで言って後を続けられなくなった。手の中の肩はあまりにも貧弱で、逃げるどころか、歩くことにさえ不安を感じてしまったのだ。二階の窓から下に降りるなんてできるのか?だが考えてる暇はない。彼女の体を抱きかかえるようにして立たせ、ドアのところまで来てもう一度外の様子をうかがった。
 大丈夫だ、まだ間に合う。静かに、小さくドアを開けて窓の位置を確認する。するとそのすぐ横に非常用階段の扉が見えた。
「あの階段、使えんのか?」
 階段のほうを指さして問うと、彼女は小さくうなずいた。思わず安堵のため息がもれる。人がいないことを確認してドアを開け、後ろを気にしながらそちらへ向かう。建物はそこそこに大きく、廊下はT字になっている。ここにくるときに上ってきた階段は、今いる廊下の中央から横にのびた先のつきあたりにあって、ここからは死角だった。人の気配はするが、こちらには気づいていない。彼女の体を支えながら非常階段の前まできて、扉を開けようとしたそのとき、再び空気を渦巻く爆音が聞こえた。しかし、今度は近い。
「はやく、行け―!」
 少女の体を扉の向こうに押し込んで、自分はすぐにきびすを返した。
 友人のことが気になる。
 馬鹿なことをしているとわかっていた。こんな時は自分の身を守ることだけ考えればいいのだ。それをせずに人を助けようとするなら、それ相応の能力が必要になる。なにも持ち合わせない自分が戻っても、むしろ逆効果だ。
 頭ではわかっていても、足は出口と逆方向に進んでいた。友人が案内されたのは、廊下の反対の端の方だったと思う。廊下の死角になっている方から相変わらず人の気配が感じられるが、大きな物音も聞こえない。とにかく様子を見なければはじまらないと、廊下の中央へ一歩踏み出したその時
「!!」
 突然視界に人間が飛び込んできた。瞬間的に目が合う――心臓が、ドクンとはねあがる。
 相手も突如死角から現れた人間に、驚愕の表情を浮かべた。が、その顔が一瞬で視界から消える。
「―――え?!」
 光が視界を奪う。人影を追うようにあらわれた光熱波の衝撃に、もんどりうって転がされた。爆音が響き渡り、鼓膜をツメでひっかくような嫌悪感が全身を駆け抜ける。
「く……はッ」
 呼吸がうまくいかずひっくりかえるような嗚咽がもれる。経験のない痛みに、頭の中がわんわんと鳴り響いているような錯覚をおこした。床に転がった体を立てなおそうとするが、耳から入った衝撃が全身をしびれさせ、体の自由を奪っている。
 どうなってるんだ?
 何度か咳をして肺の動きと呼吸が合うようになってから、ぼやける目をこすり、やっと床に手をついて起き上がった。しかし、目の前の光景を見て愕然とした。あのまま倒れていればよかった。
 男がひとり、光熱波の直撃を受けてそこに倒れている。
 壁にしこたま全身をたたきつけられたのだろう。背中をひきずったような血の跡。その下に座り込むようにして、痛みにあえいでいる。全身は非道い火傷を負い、服だか肉だかが焦げるようなにおいが鼻をついた。
「…なんだよ――…おい」
 声が震えてそれだけ言うのが精一杯だった。返事はない。どうみたって致命傷だ。呼吸も惰性で続いているに過ぎない。
 男の細い金髪が、さっきの人影と重なる。気が動転して、同じ人物であることさえわかっていなかった。しかし、火傷が非道く顔では見分けがつかない。髪も血でべったりと顔に張りついている。口蓋から血があふれる。その吐血の隙間から、かすかに声が漏れた。
「……… ミ… 」
 それを聞いて、動かなかった体がびくりと反応する。おびただしい血が、男の体をどす黒い赤に染め上げている。それは死の色だ。せめて最後の言葉を聞き取りたいという思いが、体を前に進めさせた。床に手をついたままやっとのことで二、三歩進んだその時、血にじゃまをされて消え入るような声が聞こえた。もう見えていない目。だが、遠くを見つめて。
 その声が全身を震わせる。
「………んどは……君が……僕を………みつけて…」
 最後の言葉。それが聞こえたこと、けれど意味をとれないことに泣きたくなった。
 彼の顔から意識が消える。そして、ほんの二、三秒痙攣をおこした体は、そのまま完全に沈黙した。
 目の前で――人が死んだ。
 苦しみでも悲しみでもない。もっと別の何かがたまらなくなる。遺体は静かに、疼く心を鷲掴みにした。外傷と流血に対する恐怖は、死によって拭い去られる。しかし、熱い動悸はますます全身を支配していく。
 どうして死んでいるのか、どうして殺されなければならなかったのか、彼を呼ぶための名前すらわからなかった。だから、声のかわりに手をのばした。
 しかし、それさえも無惨に遮られる。
 鋭い刃があたりの壁や床、そして男の遺体に突き刺さる。
「魔術士か!!」
 残像しか残らない刃の雨。傷跡を残し、霧散する実体。遺体は光の刃が突き刺さるたび生き返ったかの様に蠢く。口腔に溜まっていた血が、まわりに飛び散った。
「やめろよ!こいつはもう死んでるんだ!!」
 激しい焦りと憤りがそう叫ばせた。しかし、鼓動にじゃまされて思うように声が出ない。もどかしい。焦り。怒り。
 魔術特有の空気を破裂させるような音が響き渡る。くずれる壁。グロテスクに形を変えていく遺体。もう一歩前に出れば、自分も巻き込まれる。しかし全神経が引くことを許さなかった。ふと、ちぎれそうになった右手に握られたものが目に映る。最初に彼を見たときの映像が、脳裏に甦った。あの時、右手に構えられていたあれは―――
 考えるより先に体が動いた。無我夢中で遺体に飛びつき、武器と思われるそれを右手ごと掴む。体に裂傷が刻まれる。しかし、熱くなった頭は痛みを思考から排除した。
「やめろぉぉっ!!」
 焦点すら定めず魔術の飛んでくる方へ向けて引き金を引いた。体が押し戻されるような感覚に襲われる。銃口で膨張した圧力が、廊下の奥へ一気にのびていく。予想もしなかった反動に、体が血だらけの壁に押し付けられた。風圧が全身にぶち当たる。強制的に呼吸を止められ、喉が穿たれたように痛んだ。耳を劈く轟音が死をも覚悟させる。だが、静まり返った後に見た光景はあまりにも一方的だった。
 一方的な、破壊。先ほどの魔術など比べものにならない。廊下の先にあったはずの景色が、変わってしまっていた。
 建物がない。
 廊下は途中で崩れ落ち、両側の壁は付近の部屋ごと消え失せ、天井は夜の空を覗かせていた。
 何が起きたのか理解できなかった。目の前の光景は、あまりに自分の日常と遠過ぎた。馬鹿なこともいろいろやってきた。けれど、人を傷つけたことはなかった。怒りにかられて物を壊したこともなかった。
 こんなつもりは、なかった。こんな――。
 今までにない震えが未知の恐怖を誘う。
「なんだよ……なんなんだよ、ちくしょうッ!!」
 今度こそ、本気で泣きそうになった。あえぐ呼吸と嗚咽が混じってしゃくりあげるように息が詰まる。静寂は余計に自分を独りにした。だがそれも長くは続かなかった。
「違ったあいつだ!まだ生きてるぞ!!」
 耳に届いたその言葉を、一瞬理解できなかった。瓦礫に登ってこちらに顔をのぞかせた一人が、仲間にそう叫んでいるのが見える。「違った」?「まだ」?
 その意味に気がついて、愕然となる。
「待ってくれ!違う、俺じゃない!」
 まるで今やってしまったことを弁解しているようだと思った。でもそうじゃない。彼らは勘違いをしているんだ。あんた達が追っていた男は死んだ。俺は、あいつじゃない。やめてくれ、俺じゃない。
 だが、言葉は届かない。無くなった廊下の向こうに、刃物をもった人間が数人現れる。その中の一人が、こちらに手を上げた。ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。しまった、魔術士だ。
 死の危険が破壊に対する恐怖を一瞬忘れさせた。手の中の武器を自分の正面に引き寄せ、もう一度引き金を引く。
「?!」
 何も起こらない。静寂は、こわれない。しかし魔術士の意思によって創り出された効果は、確実にこちらに向けられている。思わず廊下の死角になる方に身を躍らせた。間髪入れず爆音が響き渡る。すぐに体勢を立て直そうとするが、音と衝撃に何度も苛まれた体はうまく言うことを聞いてくれない。それでもなんとか起き上がって、もといた場所を振り返った。体力の消耗のせいで目がかすんでくる。右手に武器をもったままであることに気づいた時、ぼやけた視界に何枚かの黒いカードが映った。
 メルテリウムだ――。魔術のことなどほとんど知らなくても、これが何かは知っている。唯一物質として存在する魔力、メルテリウム。すぐそこに転がっている小さな鞄の中に、同じようなものが見えた。
 それに手をのばした時、人の声が近づいて来た。
 やばい、逃げなきゃ――。
 焦りが再び全身に沸き起こる。このカードをどうにかすることは予想がついたが、武器の使い方がわからないことに変わりはない。今来られたら、間違いなく殺される。
 もつれる手で鞄をひったくり非常階段の方へ走った。膝はがくがくと震えていて、実際どれほどの速さで走っていたのか覚えていない。ただ、息切れだけが耳に響いていた。目頭が熱くなっていた。頭はあまりの情報量で、考えることを拒否するかのように沈黙していた。その中でなぜだか消えない言葉。ずっと、それだけが頭から消えない。ついさっき終えられた彼の命を閉じた言葉。暗示にかけられたように、ただ繰り返す――


 こんどは 君が 僕を みつけて