Malorn's Diary
−7−

けれどあなた
私が夫のためにつくそうとすることも
あなたと見た星の名を忘れようとすることも

それはあなたへの想いからくるものなんですの
すべてあなたをお慕いする心からくるものなんですの

…ああ、どれほどあなたが好きでしょう

永遠に、あなたの


















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

涙なしに あなたを想う
自然よりも小さく
神よりも素朴な女性

恋を知らぬ僕らと共に生まれ
恋を知らずに育ち、幼いあなたになり

時はかたちづくり、
経験を与え、出会いを許し

すべては あなたを慈しむ
他のすべての、僕らと同じように
恋を知らぬ僕らと同じように

愛しいあなたの中に恋が生まれる
その劇的な現象
自然よりもかよわく
神よりも純朴な女性へ

夢のようにゆるやかに























どんな奇蹟も虚言となりはてる
あなたの中の誕生は
心の重さを変え、深さを増し、
からだのすべてをつくりかえる

あまりにまぶしくて言葉では言いきれない

生命と生活と死と、そして性にまでも
恋を知らない僕らの種にしかわからない
それがどれほどの奇蹟であるか

指先も 唇も 瞳も
その皮膚で包まれたあなたのすべてが
生まれた恋でいっぱいになる

心の中で何度も
その神秘的なからだを、こころを
僕の両腕に抱き締められることを思う

想像の中で触れ合ったふたつともが焼けつく
涙なしにだなんて
無理を言わないで…

瞳を閉じた瞼の内側の暗闇に
君を感じた
姿は見えないし 何も聞こえない

ただ 君の指先が
僕の頬にのばされるのを感じた




気がふれるかと思った























5月11日
僕が君に恋をしたあの時から
もう一年がすぎたんだね
もちろん僕がそれを覚えているのは
こうしてここに君のことを書き続けているからだよ
こういうことをやっていて、本当によかったと思う
どんなに僕が時を失っても
これを書きはじめた時からの僕を、
僕自身が感じ、信じることができるからね
記憶のことも、いろんな痛みにことも、
不安定な状態がすっかり安定してしまった
つまり こういうものだと納得してしまったんだ
今さら昔の僕に戻っても
僕はちっともうれしくない
なぜだかなんて、書かなくても
もちろん君にはわかるだろうね
でも ほんとうは
いつまでこれを書いていられるのかわからない
ほんの数日前から 別の変化が
僕を苛みはじめている
ただ、なんとなくだけど
この痛みは君を想う心が誘い出す
あのせつない、敏感なものではなくて
かといって 僕の中のあの血が引き起こすものでもない
なんていうか、もっと内包的な…
生命の営みに含まれる必然が生み出す
僕の生命力の痛み
それは絶えず僕の体を締めつけ
けれど僕自身が耐えることを要求し
それが可能であることも知っている
鈍い痛みがつづく…
あまりにつきまとうので 教室の仲間達も
僕の様子に気づいて気をつかってくれる
「内包する痛み」
聞き覚えのある言葉 … ?
――誰だろう わからない
君ではない、もうここにいない人の言葉
僕が受け入れようとしているのは
僕自身の安らかな死なのだろうか
      生命の内包する死























『何があったというのだろう?何をあの人に言った
 のだろう?私は何をしたのだろう?なんの
 必要から、あの人の前で、いつも自分の≪徳行≫の
 ことを誇張したりしたのだろう?わたしが心の
 底から承知できないような≪徳行≫だったら、
 そんなものになんの値打ちがあるだろう     』
La Porte Etroite210 A.Gide

『私は、主がわたしの唇から言わせようと
 なさった言葉に、こっそりそむいていたのだった…     
 自分の心に満ちあふれていたものを、何ひとつ
 口に出せなかった               』

『J、J、おそばにいれば胸が張り裂けそうに
 なり、といって離れていれば死にそうになる
 私の悲しいお友だち、さっきわたしが言った
 ことのうち、わたしの恋心が言わせた以外の
 すべての言葉はみんな忘れてしまってちょうだい 』
5月18日
手が震えて字が書きにくい
鈍い痛みはよほど僕の体を苦しめる
毎日のように夢を見るんだ
自分のことなのかどうかもよくわからない
ただ いつもいつも眼の奥の痛むような
後悔の念が僕を満たす
今の自分の事を考えようとしても
その頭以外の全ての体が欲しがってる
やめてよ、
それを僕に気付かせないで
押し出される涙といっしょに
唇が君の名を綴りたがる
汚すな 騙るな 踏み躙るな
君の名は 僕の唇より高いところにある
僕は、どんどん堕ちていくばかり
止まらないんだよ
僕の掴むものが、踏みしめる大地が
――君が、ない
落ちていく感覚が――…止まらない
恐いよ























どうして、こんな――
起きてる時も眠っている時も いつもいつも
落ちていくんだ 落ちて 落ちて 落ちて
もう許して
お願いだから、僕に手を差しのべて!
こんなのは嫌なんだ
君の大切なものをみんな壊しても
僕はまだ――!
罪悪だとわかっていても
それでも僕は望んでいる
君を愛してる
好きだ
好きだ
好きだ
君は――…あ
君は…?
一体僕が君のことについて
何を語れるっていうんだ…?
君が唯一、憎むべき僕が――
『書いた手紙も破いてしまった。そしてまた書きなおした…
 もう夜が明けかかっている。鼠色で、涙にしめって、
 わたしの心のように悲しげな夜明け…農園のほうで
 物音が聞こえだした。そして、今まで眠っていた
 あらゆるものが、今またふたたび生活をはじめる…
 ≪いざ起てよ。ときは至りぬ……≫
 手紙は出さないことにする              』

『わたしは、聖書以外の本は何も持ってこなかった。
 だがきょう、そのなかに書かれたいかなる言葉にもまして、
 あのパスカルのすすり泣きが心をうつ。
 ≪神ならぬものは、わが期待を満たすを得ざるなり≫
 ああ、わたしの軽率な心をねがっていたあまりに
 人間的な悦び … 主よ、主がわたくしを絶望に
 投げ入れたもうたのは、この叫びを発せしめようと
 お考えだったためでしょうか?            』
『≪己が身に感ずる悩みにいたずらに心をまかすというのは、























 雄々しき心の人にふさわしからぬことなり≫ 』


6月10日
君の中にある僕の恋
僕の中にある君の命
ふたつは静かに ゆるやかに
互いの水面にたゆたう
過敏で可憐な心の肌に
僕等ふたりのたてた波風は
ゆらゆらと小船をゆらし
誘われるがままに、僕らは
輝く 水面の 中へ
ここは君の中
   君の心の中
まわりのすべてが君のすべて
君以外、何もない
君だけに抱かれる僕
けれど その水底は
僕らに呼吸を許さない
息苦しさに喘ぎ もがき 溺れ
やがて 僕らは
それでも
僕らは



『 ≪今よりのち、主の中に死する死者は幸いなり≫
 と、尊いお言葉が語っております。わたしは、死ぬまで
 待たなくてはならないのだろうか。ここにいたって
 わたしの信仰はゆらぐ              』

『主よ、わたくしは、主へ向かって声を限りに呼びたて
 まつる。わたくしは、闇の中におり、黎明を待って
 おります。わたくしは、死ぬまであなたさまに
 お呼びかけ申しております。           』

『どうかわたくしの心の渇きを癒しにきてください























 ますよう。その幸福を思うとき、わたくしの心は
 たちまい渇きをおぼえます…それとも、すでに
 それが得られたもののように思うべきでございましょうか?
 そして、黎明に先だち、日の昇るのを知らせるという
 より、気短かな思いでそれに呼びかけている小鳥
 とでもいったように、夜の白むのを待たず、歌わな
 ければならないのでございましょうか?        』


6月20日
一秒毎に恋をして
その一瞬毎にその恋にやぶれる
永遠に僕の命を呪い
その永遠は君の命に繰り返される
幸福のうちに死をみつけよ
さすれば我ら死に沈黙を与えん
『主よ、わたくしの前に、あの幸福の扉を、たとい
 細めなりとしばらくおあけくださいまし      』

『すべては消えた。ああ、あの人はわたしの腕の中から
 影のように逃れていった。あの人はそこにいた!
 あの人はそこにいた!わたしはまだあの人を感じている。
 あの人を呼んでいる。わたしの手は、わたしの唇は、
 むなしく闇の中にあの人を求める…         』
『わたしからすべてを剥奪しておしまいだったねたみ
 ぶかい神様、どうかわたしの心もお奪いください   』
6月26日
この愛が永遠でありませんように
恋は死をもたらしはしない
ただ それを呼び寄せる甘い甘いうたを歌う























僕らのいのちの隣に住む死という隣人は
やがてその歌声の甘い招きに耐えられず
突然とびだしてきて 僕らの肩をたたく
僕らのいとしい隣人は
そうして僕らの物語に最後の筆をおとす
それは永遠の沈黙
愛と恋情は饒舌より沈黙を慈しむ
言葉を交わす命に限りはあれど
その沈黙は唯一僕らに永遠を与える
僕らは人だから
自然の中に、この世に生まれた人だから
愛は命と同じように人の中にある
終わらない愛はいまだかつてなかった
ちょうど終わりのない命がなかったように
君の愛には終わりがある
愛は人が紡ぐものだから
僕もいつか この想いに終わりが来ればいい
ひとつでも多く
君と同じものがあればいい…
『御国よ、きたれかし。わが心の中に、御国よ、きたれかし。
 そして主お一人がわたくしの心の上に臨みくださいますよう。
 そして、わたくし全部の上に臨みくださいますよう。わたくしは、
 いまや惜しみなくわが心をさしあげようと思っております    』

『そして私には、もうこの日記が自分のものでなく、自分には
 これをJに渡すことなく処分してしまう権利がなく、これは
 Jのためだけに書かれたものだというように思われてきた  』
『主よ、この日記の中から、わたくし自身達することの
 できなかった徳の頂にひたすらあの人を押し上げたいと
 狂おしいまでに望んでいる女心のつたないひびきを、
 どうかあの人に汲み取らせてあげてくださいますよう
 ≪主よ、わがいたり得ぬこの磐の上に、ねがわくは
 我を導きたまえ≫                 』